【木曽 真奈美】オフィシャルウェブサイト

ムソルグスキー・ラフマニノフ・チャイコフスキー、ロシアの作曲家に愛を捧げるピアニスト【木曽真奈美】

ロシアと私
 

ピアノとの出会いは遅く6歳の時でしたが、2歳の時からバレエを習っていたために、 幼い頃から家の中では「くるみ割り人形」や「白鳥の湖」などがいつも流れており、 姉やお友達たちとよくふざけて踊っていました。 そんな環境で育ったせいもあるのか、なぜか大人になってロシアの音楽にふれると、 自分の奥底の魂が呼び覚まされ揺れ動くのを感じ、 またロシアに行くと故郷にかえったような懐かしさと喜びを感じます。 自分とは何か深い繋がりがある事を思わざるをえません。
ここでは私にとって特別な3人の作曲家をとりあげます。

ムソルグスキー(1839〜81)

バルト三国に近いプスコフ郊外のカレヴォ村に大地主の次男として生まれた。 6歳で母親からピアノの手ほどきを受けるが7歳ですでにリストの小品を演奏し早くから才能を現した。 13歳の時ペテルブルクの近衛士官学校に入学し17歳で卒業、連隊に入隊。
この年にボロディン、翌年にはキュイ、バラキレフらと出会い、 いわゆるロシア国民楽派の「五人組」と称されるグループに加わっていく。 バラキレフはこのグループの指導者でもあり、ムソルグスキーは彼のもとで本格的に音楽の勉強を始めた。 19歳の時に精神的に不安定になり軍隊を退役。 61年、農奴解放により地主貴族であった彼の家は経済的打撃をうける。 63年から以後何度か休職を重ねながらも17年間、官史としての生活を送りながら作曲を続けた。 65年最愛の母の死がきっかけで重度のアルコール依存症に陥っていく。 74年にオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」が総譜完成から5年を経て初演され大成功をおさめるが、 次第に貧困と精神不安定の中で飲酒癖は悪化の一途を辿る。81年アルコール中毒による衰弱により死去。
42歳という短い生涯であった。
ムソルグスキー
ムソルグスキー

ムソルグスキーと私

大学院生の時、たまたま行ったロシア人ピアニストの演奏会で『展覧会の絵』が演奏され、 その時、身体中が震え立ち上がれない程の強烈な印象を受けました。 もちろんこの曲は子供の頃から良く知っていた曲ではありましたが、その演奏会で、 「これ程までに人の心を打ちのめす力がこの曲には秘められている、 この曲の根底にあるのは何なのだろう」と思い、 これが私のこの曲にのめり込んでいくきっかけとなったのです。 その後この曲についての論文と演奏で修士を取得しました。何度弾いても飽きるどころか、感動や発見が深まっていく、 私にとっては「この曲との出会いがなければ今の自分はいない」と思える程、大切な曲です。 彼の生まれ故郷であるカレヴォに日本人で個人としては初めて訪れましたが、その時彼の家のお庭で葉っぱを拾ってきました。 彼は幼い頃の幸せな思い出が残るその村に帰ることなく、遠く離れた都会ペテルブルクで不慮の死をとげました。 私はぜひとも、今もペテルブルクに眠る彼に、カレヴォの何かを届けたかったのです。 拾ってから4年後にやっと彼の眠るお墓に届けることができました。 その時私は涙ながら彼に「あなたの本当の思いをひとりでも多くの方に伝えます」と誓いました。
この曲を演奏する時はいつでも、ムソルグスキーが温かく見守ってくれているような不思議な感覚になります。
住んでいたアパート前
住んでいたアパート前

カレヴォの博物館
カレヴォの博物館

ラフマニノフ(1873〜43)

ロシアの古都ノブゴロドで生まれる。9歳の時、一家が破産したためペテルブルクに移り、 ペテルブルク音楽院の幼年クラスに編入する。幼い頃から才能を見出され、12歳からモスクワ音楽院で和声、対位法、ピアノを学ぶ。 18歳でピアノ科を首席で卒業し、翌年、作曲科を卒業するがその時に制作したオペラ「アレコ」で大金メダルを授与される。 その後も次々と作品を発表するが、97年に初演された「交響曲第1番」が酷評されたため自信喪失する。 しかし精神科医ニコライ・ダール博士との出会いから次第に自信を取り戻し、1901年「ピアノ協奏曲第2番」を完成、 初演は大成功をおさめる。04年ボリショイ劇場の指揮者に就任、08年にはヨーロッパ各地で演奏、 09年には初アメリカ演奏旅行で大成功をおさめるなど、作曲家、ピアニスト、指揮者として充実した日々を過ごす。 1917年ロシア革命勃発後、そこから逃れるためスカンジナヴィア諸国での演奏会を機に妻子と出国。 翌年アメリカに移住、長年にわたる全米各地での演奏活動開始。各地で熱狂的な支持を得るが、作曲ができず苦しむようになる。 ラフマニノフは非常に愛国心が強い人であったにもかかわらず、 最後25年間もアメリカで故郷ロシアの事をしのびながら生活した。 結局二度とロシアの大地を踏むことなく、43年、70歳の誕生日を目前に癌のため亡くなった。
ラフマニノフ
ラフマニノフ

ラフマニノフと私

高校生の時、授業で初めてラフマニノフと彼の「ピアノ協奏曲第2番」を知り(遅い!)、 一瞬でこの美しく切ない曲に恋に落ちてしまいました。 その時期はとにかく朝から晩までずっと家ではこの曲をかけており、『木曽家のテーマソング』になっておりました! 今でも私の姉はクラシックは詳しくないはずなのに、この曲は最初から最後まで歌えるそうです! 高校の文化祭でもお友達を巻き込んで、この曲をみんなで演奏しました。
芸大時代、周りはとても上手なのに、私だけは何を弾いても上手くいかず、何年も苦悩の日々でした。 どれだけ自分が情けなくてピアノの下にもぐって泣いたことか・・。 あんなに大好きだったピアノが嫌いになりそうになった時、たまたまラフマニノフの『鐘』をレッスンに持っていった所、 先生に初めて少しだけ褒めて頂けて、びっくりしたのをよく覚えております。 その後その嬉しさがきっかけでラフマニノフの曲を弾くようになったと同時にピアノを弾く事自体も面白くなっていきました。 その後モスクワ音楽院のサマースクールを思いがけず1位で終えられ、 そこでやっと何年も失っていた自信を少し取り戻す事ができたように思います。
ラフマニノフの音楽はとにかく暗いのですが、なぜか私はその暗い音楽を聴いていると、ものすごく力が沸いてくるのです。 自分の奥底の魂が揺れ動くのを感じずにはいられません。ですがピアニストでもあった彼の曲はテクニック的に非常に難しく苦労を伴います。 ですから今でも本番では失敗する事もあり、なかなか思うようにはいきませんが、 それでも彼の美しいメロディーは私の心を捉えて離さない、私にとってラフマニノフの曲は永遠の恋人のような存在です。
ラフマニノフの家博物館
ラフマニノフの家博物館

ラフマニノフの肖像画
ラフマニノフの肖像画

チャイコフスキー(1840〜93)

ウラル山脈の麓ヴォトキンスクで生まれ育つ。子供の頃から音楽に対して深い感受性を持ち、 ペテルブルクの法律学校に学ぶかたわら、ピアノや音楽理論の勉強を始めた。 法務省に勤めるが音楽を捨てきれず、21歳の時この年に創立されたペテルブルク音楽院に入学。 26歳の時モスクワ音楽院が創立され教授として就任する。 その後「ロミオとジュリエット」「弦楽四重奏曲」「ピアノ協奏曲」など後世に残る名作を次々に発表。 ヨーロッパ各地へ演奏旅行。76年36歳の時、「白鳥の湖」を完成させるが、 この年からその後14年間にわたりフォンメック夫人と文通、経済的援助を受ける。 これがきっかけとなり78年にはモスクワ音楽院を辞職し、以後作曲家として精力的に創作活動を行う。 彼の晩年はロシア国内にとどまらず、パリ芸術アカデミー会員に選出、ロンドンケンブリッジ大学より名誉博士号を受けるなど、 世界各地で名声を得る。輝かしい栄光と力強い創作意欲に満ち溢れたものであった。 92年、現在も記念館として保存されているモスクワ郊外クリンにある家に移り住む、「くるみ割り人形」完成。 93年ペテルブルクの弟の家でコレラのために亡くなる。53歳、突然の死であった。
チャイコフスキー
チャイコフスキー

チャイコフスキーと私

私と音楽との最初の出会いはチャイコフスキーでした。 今の自分とロシアが繋がっていると感じるのも初めて触れた音楽がチャイコフスキーであったことが大きく影響していると思います。 すでにウン十年と聴いている「くるみ割り人形」ですが今でもあのメロディーが聞こえると、 私の心はあの頃のまま浮き立ちはじめ「おとぎの国」にタイムトリップするような錯覚になりますし、 交響曲のロシアの大地を想わせる底知れない雄大なスケールの音の中にいると、 大声で叫びながら身体ごと曲に飛び込みたい気持ちになります。 本当にチャイコフスキーの音楽は私を夢の世界にいざなってくれるのです。
私が添乗員役としてご一緒するツアーで、 現在でも彼が生活していた当時のまま保存されている家(博物館)で、 彼の弦楽四重奏曲の演奏を聴いたとき、突如としてあたかもチャイコフスキーがそこでよみがえったかのようで、 私は胸に湧き上がる感情をこらえきれず、膝を落として号泣してしまいました。 つい添乗員という立場も忘れて・・しかもかなり長い時間・・!
今までの音楽人生の中でこんなに音楽を聴いて魂を鷲づかみされたのは初めてで、 音楽と携わってきたことでこんな素晴らしい感動体験ができたことに心の底から感謝したものです。
チャイコフスキーがいなかったら私はロシア音楽にこんなにも心酔していなかったと思いますし、 もしかしたら音楽とは別の人生を歩んでいたかもしれません。
ですから今でもロシアに行ったら必ず、彼のお墓に手を合わせて感謝の気持ちを伝えています。
チャイコフスキーの家博物館
チャイコフスキーの家博物館

彼愛用のピアノ
彼愛用のピアノ